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千葉の大停電に駆け付けた1万分の1人! 復旧に尽力した四国電力社員の体験

2020.11.27

【今月の密着人】四国電力送配電(※) 高松支社 丸亀事業所 サービスセンター(配電部門) 高橋明宏さん(27歳)

※四国電力の送配電部門が2020年4月に四国電力送配電として分社

私たちが電気を当たり前のように使えるのは、送配電業務に携わる人たちが、電線や電柱などを日々管理してくれているから。自然災害などにより停電になってしまったときも彼らがいち早く現場に駆けつけ、復旧をしてくれている。2019年9月、千葉県を直撃した台風15号によって発生した大規模停電の際には、全国の電力会社からスペシャリストたちが集結し、事態の収拾に当たった。当時、実際に復旧作業を行った四国電力送配電の高橋明宏さんが見た現場とは?


昼休みに呼び出され千葉に急行。暗闇に包まれた被災現場へ

2019年9月9日未明から早朝にかけて、千葉県を襲った台風15号。関東地方に上陸した台風としては観測史上最強クラスといわれ、ライフラインである電気も甚大な被害を受けた。無数の倒木により各所で電線が断線、また送電線を支える鉄塔2基が倒壊。大規模な停電が発生し、その復旧にはかなりの時間が掛かると予測された。

県内に電力を供給する東京電力だけでは対応が追いつかず、北海道から沖縄まで、全国の電力会社に応援要請が出された。駆けつけたのは1万人以上。2020年で入社9年目となる高橋明宏さんもその内の一人だった。

高橋「確かお昼ご飯を食べているときだったと思います。突然上司に呼ばれ、今から急いで千葉に向かってくれと伝えられました。私は過去にも何度か災害復旧の応援に行かせてもらったことがありますが、こればかりは馴れないもので、『1分1秒でも早く停電から復旧させなくては』と、いつも焦燥感に駆られます。数日分の着替えをバッグに詰め込んで、1時間後には出発しました」

段取りはこうだ。先輩社員と2人で、まず事業所のある丸亀市から高松市の支社へ向かい、他の部隊と合流。機材や食料、車を整えてから千葉へ向かう。高松支社から千葉県までの距離は700キロメートル以上。休憩なしで走り続けても9時間以上はかかる計算だ。

高橋「台風の被害が甚大で他の電力会社からの応援規模も過去最大級でしたから、どの被害地域に向かえばよいのかはギリギリまでわかりませんでした。どこへでも行けるように、車の中で現地の被害状況をチェックしながら向かったんです」

車内でできるのは、日頃培った技術を現地でフルに発揮できるよう、情報収集することだけ。そんな中、高橋さんが派遣されたのは、千葉市内にある総合病院だった。

高橋「移動と待機を経て、現地に到着したのは四国を出発してから2日後でした。停電しているので当然どこも真っ暗で、被害のすさまじさに驚いたのを覚えています。一番被害が大きなエリアではなかったのですが、雨風が相当強かったのでしょう。道中には所々で倒木の影響によって電柱が折れたり電線が切れたりしている場所がありました。それらを横目に持ち場へ向かわなければならないのは、正直歯がゆさもありましたね」

 

使命感を胸に臨んだ復旧作業が難航。新人時代を思い出す

高橋さんに与えられたミッションは、停電している総合病院に高圧発電機車で電気を届けるというもの。高圧発電機車とは、簡単に言えば移動式の小さな発電所だ。“小さな”と言っても1台でおよそ100世帯が使う電気を作ることができる特殊車両で、一般家庭で使用する電圧が100〜200ボルトなのに対し、この車では6600ボルトと高い電圧で発電することができる。

高橋「今回の場合は、高圧発電機車と電線を直接ケーブルでつないで電気を送るというのがミッションでした。しかし、ケーブルの接続作業を東京電力にしていただく中で、電力会社によって使っている資材や機材が異なるため、思うように接続作業が進まない状況がありました」

実は発電機車の接続だけでなく、電線・電柱等の復旧資材・工法の違いなどによる同様の課題は他の場所でも発生していた。そうした課題を解決するべく、「エネルギー供給強靭化法」が2020年6月に成立した。

相次ぐ自然災害を受け、電力システムのレジリエンス(強靭性)向上を図るために、災害時対応の連携強化に向け、送配電事業者が共同で作成する「災害時連携計画」によって復旧方式等の統一化が図られるなど、現在では滞りなく作業が行えるように改善されている。

高橋「そんな状況の中でミスしてはいけないと思いつつも、これまでに経験したことのない規模の停電ということもあり、どうしても焦ってしまう部分はありました」

頭をよぎったのは、新人時代に経験した徳島での停電対応の記憶。

高橋「当時も台風が原因の停電でした。先輩とペアを組んで夜中に復旧作業に当たったのですが、普段は優しい先輩も、この時ばかりはピリついていて。独特の緊張感がありました。私は緊張から思うように作業ができず足を引っ張るばかりで……」

一方でテキパキと作業をこなす先輩。それを見て高橋さんは「こんな風になりたい」と思ったという。

高橋「当時、なんとか復旧させることができ、暗い街に明かりが広がっていくのを目の当たりにしたら、『配電という仕事は、何て大切な使命を担っているんだろう』と実感しました。このときはまだ入社したばかりで、“配電のいろは”もわかっていないようなころでしたが、自分の仕事へのやりがいを感じた瞬間でしたね。だから今回の千葉でもやり遂げたかったんです」

 

復旧現場で地元出身者とバッタリ。緑の作業服は信頼の証

発電機車による安定的な電力供給に尽力した高橋さん。結果的に4泊5日の長丁場となった。思うように作業が進まない中、それでも気持ちを切らさずに作業できたのは、地元住民とのコミュニケーションがモチベーションになっていたからだった。

高橋「病院に到着したとき、『四国電力から来ました』と院長先生に挨拶をしたら、実は院長先生も四国出身で。しかも香川県が地元だとわかり、私の緊張が一気にほぐれました。しかも、その後、病院の一室をご厚意で私たちの休憩室として貸していただけることになったんです。基本的に、被災地へ応援に行く際は現地の物資を圧迫しないよう、食料は自分たちで持ち込み、睡眠なども車内でとるのですが、それも長く続くと体に堪えます。しっかりと体力を回復することができたので、本当にありがたかったですね」

つらいときだからこそ助け合う。そんな精神に触れて、力が湧いた。同様のエピソードは他にもあった。

高橋「当時は6時間交代で作業をしていたのですが、私たちが休憩をしているときに、近くに住んでいる方が『遠いところからありがとうございます』と、食べ物などを差し入れしてくれて。食料は持ち込んでいるものの、とてもありがたく感じました」

温かな交流が励みとなり、連日のハードな作業をこなすことができた高橋さん。助け合いの素晴らしさにあらためて気付くこともでき、それ以降、自分でも強く意識するようになったという。こうした経験を経て高橋さんが思うのは、「もっとお客さまから信頼されるスペシャリストにならなければ」という使命感だった。

高橋「私は普段の仕事ではお客さまの元を訪ね、面と向かってお話しする機会が多いのですが、そこで感じるのは、私たちが着ている“緑の作業服”の認知度の高さです。初めて訪問した際には、最初に不審感を抱かれるお客さまもいます。ですが、この緑の作業服を見るとすぐに四国電力送配電だと気付いて、一気に緊張した空気がなくなるんです」

緑の作業服が信頼の証のようになっているのは、先輩たちが地元との関係を大切に積み上げてきたからこそだと実感しているという。

高橋「私は入社9年目ですが、知識も技術もまだまだ未熟なところが多いと感じています。今後も積極的に足りない部分を補い、これからの仕事に生かしていきたい。そして、いつか先輩のように緑の作業服に恥じないプロフェッショナルとして、配電部門を引っ張っていける存在になりたいです」