あなたとエネルギーをつなぐ場所

突然のドラフト指名でまさかのプロ入り!野球選手・川﨑宗則さんが大切にし続ける「人間力」とは?

2025.02.03

enetalk13_01

プロ野球選手 川﨑宗則さん

福岡ソフトバンクホークス(2004年までは福岡ダイエーホークス)で活躍し、アメリカのメジャーリーグや台湾プロ野球でもプレーした経験を持つ川﨑宗則選手。43歳となった現在も、栃木ゴールデンブレーブスでチーム最年長選手として活躍しています。そんな川﨑選手のご実家は電気工事店。ご両親の影響から、ご自身も工業高校に進み、国家資格である第二種電気工事士を取得されたそうです。そんな川﨑選手に、これまでの歩みや、さまざまなテクノロジーの導入が進むスポーツ界への思いについて聞きました。

 

野球一筋ではなかった学生時代。ドラフトでプロ入りは予想外だった!?

――――――まずは、野球を始めたきっかけを教えてください。

野球を始めたのは、5歳上の兄の影響です。両親は電気工事店を営んでいて忙しく、いつも兄とキャッチボールをして遊んでいて、小学3年生頃に少年野球チームに入りました。でも、ずっと野球一筋というわけではなかったんです。中学の入学当初はバスケ部に入部しましたし、バンド活動にハマってベースを弾いていた時期もありました。その時々でやりたいことを自由にやっていましたね。ただ中学では、バスケ部と野球部の顧問の先生に「君がなぜバスケ部なんだ?野球部だろ?」と説得され、入部して間もなく野球部に転部することになりました(笑)。

その後は、スポーツ推薦で鹿児島工業高等学校に進学して、野球部に入りました。工業高校を選んだのは、実家が電気工事店だったから。進学した高校は野球の強豪校ではありませんでしたし、当時の自分たちのレベルでは甲子園なんて夢の話。プロ野球選手になりたいなんて、思ってもいませんでした。

 

enetalk13_02

学生時代は野球一筋ではなく、バスケやバンド活動に「寄り道」していたそう

 

――――――そんな中で、プロ野球選手の道に進んだのはなぜですか?

野球に対する気持ちの面での転機は、高校3年生の夏でした。ある大学野球部の監督からセレクションを受けに来るように言われたんです。大学に進学した先輩が僕のことをその監督に紹介してくれたそうで、声をかけられたときは驚きました。セレクションは入部テストのようなもので、合格すればその大学に入り野球部に所属することができます。ただ、僕自身、それまで大学進学は全く考えていなかったし、兄も姉も大学には進んでいません。反対されるのを覚悟しつつ、大学で野球をやりたいと両親に伝えたら、意外にもあっさりOK。それ以降、父の仕事を手伝っていた母は、大学進学のための資金を作ろうとパートの掛け持ちまで始めてくれました。そして僕も11月のセレクションを目標に、バイトをしながら野球の練習に打ち込む日々を過ごしていました。

そんなある日、突然僕にプロ野球のドラフトがかかったんです。本当に突然のことで、「まさか」でしたよ!今は事前に球団から候補者に「調査書」といわれるものが送られるため選手も心構えができますが、当時はそういうものはありませんでした。甲子園にも出ていない、田舎の高校の野球部員がドラフトで指名されるなんて、誰も予想していなかったんです。中でも一番驚いたのは母ですよね。必死にパートに出て進学資金を貯めていたの⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠に、契約金4000万円で息子がプロ野球選手になったんですから(笑)。もちろん感謝の気持ちを込めて、そのお金は両親に渡しました。家族には、今も本当に感謝しています。

 

チャンスをもらうために必要なのは「野球力」よりも「人間力」

――――――突然のドラフトでプロ野球選手になれたとは、まさにドラマのようです!「福岡ダイエーホークス」入団後はどのような日々を過ごされたのですか?

入団した年、最初は全く練習についていけず、毎日のように泣いて父に電話していました。「もうやめて実家で働きたい」って(笑)。でもプロの世界は、泣いても笑っても契約期間は基本的に1年間。来年はクビになるんだと覚悟したらどこか吹っ切れて、プロ野球選手として1年間楽しんでやろうというマインドに変わったんです。そうしたらなぜか調子が良くなり、次の契約ではクビどころか50万円アップで契約できることになりました。

 

―――プロ2年目で1軍の試合に初出場されたそうですね。

2軍にいた頃はあまり期待されていなかったのですが、たまたま球場に球団オーナーが来ていた時に、僕がヒットを打ったんです。そしたら、入団当時から新人の僕を応援してくれていたファンの皆さんが「ワー!!」って大きく湧いたんですね。

enetalk13_03

新人の頃からしっかりファンの心をつかんでいた川﨑選手。「僕が若くてまだ体も細かったから息子を応援する感覚だったのかな?」と振り返る

 

それを見たオーナーが、「やけにファンが多いこの選手は誰だ!?」と、1軍の試合に出場させてチャンスを与えてみるようチームに指示してくれたんです。オーナーは、2軍でこれほどファンがいるなら、1軍に上がればファンが何倍にも増えて球場が盛り上がるだろうと経営者として考えたようです。

当時の僕はそんなオーナーの意図は知らなかったのですが、ファンの声援が1軍昇格のきっかけになるとはラッキーなことでした。念願の1軍出場を果たし、その後もありがたいことに多くのチャンスに恵まれるようになりました。今の僕があるのは、2軍の時のファンの皆さんのおかげです。あの時の応援がなければ、オーナーに僕の存在を気付いてもらえませんでした。

 

――――――日頃のトレーニングの成果もあってのご活躍だと思いますが、ファンの皆さんの声援が大きな転機になったのですね。

僕が思うに、野球選手って上手い下手に大差はないんです。プロ野球選手になった時点で、みんな野球は上手いんですから。活躍できるかどうかは、どれだけチャンスをもらえるか、そして、そのチャンスをどれほど活かせるかに懸かっています。上手くても10回しかチャンスがない人と、下手でも100回チャンスがある人とでは、やっぱり100回チャンスがある人が成功します。

そして、そのチャンスをもらうために必要なのは、「野球力」よりも「人間力」だと思います。チームがやろうとしていることを率先してできているか、自分の役割を果たせているか、仲間を鼓舞しているか、ファンの方々への発言や気配りを含め、球団はもちろん野球に関わるすべての人達から全部見られています。自分本位ではなく、チームのために自分がどういう人間であるべきかを考え、行動することは本当に大事だと思います。小学5年生になる息子も野球をやっているのですが、「『オフ・ザ・ボール』の時間が大事。この人にポジションを与えたい、その結果負けることがあったとしてもいいんだ、とチームに思われるくらいの選手になれ」といつも話しています。

 

enetalk13_04

「プロ野球選手は誰であっても技術に大差はない」という発言に一同が驚く中、チャンスをつかむには「人間力」が必要と断言する

 

通訳なしで渡米しメジャーリーグに挑戦!海外生活は苦労の連続

――――――メジャーリーグや台湾プロ野球でも活躍されていましたが、今振り返ってみていかがですか?

英語が全く喋れなかったので、渡米したばかりの頃は苦労しましたね。通訳を付けて渡米する選択肢もありましたが、その費用がかさめば、球団が難色を示す可能性もあると考え、あえて付けませんでした。でも、良かったこともあって、英語を話せないのに通訳なしで飛び込んできた日本人って、チームメイトにとっては気になる存在になるわけです。困ったことは数えきれないほどありましたが、そんな時にはチームメイトが助けてくれました。コミュニケーションも積極的に図ってくれて、試合後にご飯を食べに連れて行ってくれたり、バーで一緒に飲んだり…通訳がいないからこそ話してくれたと感じる、彼らの本音も聞けました。

アメリカにいた5年間は大変なこともありましたが、本当に面白かったです。文化の違う人たちと関わり合って、「こういう見方もあるのか!」と発見も多かったですし、物事の許容範囲が広くなった気がします。ちょっとしたトラブルが起きてもイライラしなくなりましたね。

 

――――――今は、所属する栃木ゴールデンブレーブスでチーム最年長選手と伺いました。40代で現役の野球選手は少ないと思いますが、プレーを続ける原動力は何でしょうか。

「いつでもやめられる」という気持ちが、ある意味で野球を続ける原動力になっています。いつでもやめられるんだから、体が動かなくなるまで続けるのも良いかなと思っているんです。やっぱり野球は面白いし、好きですから。まだまだ、やめるつもりはないですよ!

 

enetalk13_05

所属する栃木ゴールデンブレーブスでは最年長選手として活躍しながら、球団テクニカルアドバイザーとして他の選手をサポートする

 

高校時代に第二種電気工事士の資格を取得!電気工事士の父の背中を見て育った少年時代

――――――工業高校に進学したのはご実家が電気工事店を営まれていたからとのことですが、高校ではどんなことを学ばれたのですか?

工業高校では「電子工業系」という学科に進み、電気工学などを学びました。野球に励みながらもしっかり勉強して、第二種電気工事士の資格を取得しました。もともとは、高校で資格を取り、卒業したらすぐに就職しようと考えていたんです。

僕は小さい頃から電気工事士として働く父の仕事に興味があって、よく仕事現場について行っては、荷物持ちなどの手伝いをしていました。子どもながらに、父のような人たちが電気を使えるようにしてくれるから、みんなが楽しく暮らせるんだな…なんて感じていましたね。プロ野球選手にならなければ、きっと電気関係の仕事に就いていたと思います。

 

enetalk13_06

過去には第2種電気工事士の参考書のイラストに登場したことも(『第2種電気工事士筆記試験すいーっと合格2016年版』:ツールボックス社)

 

――――――第二種電気工事士の資格を取るための勉強は大変でしたか?

一次の筆記試験は学校で学んでいる内容なので自信がありましたが、二次の技能試験は難しかったですね。配線図を見ながら工具を使って配線などの作業を行うのですが、何度練習しても制限時間を10分オーバーしてしまい、試験の前日に焦って父にアドバイスを求めました。言われたとおりにすると、驚くほど簡単に10分短縮できて無事合格しました。もっと早く頼っておけばよかったかもしれません(笑)。

実際に現場で働く人たちは、日頃から効率を考えて動いているから手際が良く、最前線で働いている人ってすごい!と実感した出来事でした。やっぱり “現場の匂い”というか、肌で感じることって大事なんですよね。野球でも、試合でしかできないことや感じ取れないことがあります。だからこそ現場第一主義で、選手生活を続けたいと思っています。人生でプレーできる回数は限られていますから。

 

AI審判にピッチクロック。テクノロジーの導入がもたらすスポーツ界の変化

――――――スポーツ界ではAIをはじめテクノロジーを導入する動きが活発化していると感じます。どのように受け止めていらっしゃいますか。

スポーツの世界に新しいテクノロジーが入ってくることは面白いですよね。AI審判の導入などが進んでいると聞きますが、目にみえる数字やデータで判断できるようになるため、観客が納得しやすくなっていると思います。SNSで審判が誹謗中傷されることも減っていくのではないでしょうか。

 

enetalk13_07

スポーツにテクノロジーが掛け合わされることは面白いとポジティブに捉える

 

野球でも、選手がアナリストの先生から分析した情報を提供してもらえるようになりました。情報やデータがプレーに役立つのはもちろんのこと、野球選手って野球のことだけを考えがちですから、異なる視点を持つアナリストの先生と話すことで、視野や考え方の幅が広がった選手は多くいると思います。

 

――――――2023年からメジャーリーグではピッチクロック(投球間の時間制限)が導入されました。

試合時間の短縮を目的として定められたもので、ランナーがいない場合は15秒以内、ランナーがいる場合は20秒以内(来季は18秒に変更)にピッチャーが投球動作に入らなければ1ボールが追加されるルールです。さらに、バッターも制限時間の8秒前までに打つ準備動作をしなければ、1ストライクが追加されます。導入により、今シーズンの平均試合時間は実際に短くなっているそうです。

ですが、投手にとっては負担の大きいルールだとも言われています。投手はとんでもない集中力で1球1球を投げているので、心身共に大きな負荷がかかっています。だから、投球間に回復するための時間があった方が良いんですよ。そうはいっても、スポーツのルールやエンターテインメント性は、時代に合わせてどんどん変化するもの。選手にも対応力が求められるのかもしれませんね。

見方を変えると、試合時間の短縮によって、ナイターであれば、照明を早く消すことができますね。球場の照明は消費電力がかなり大きいですから、エネルギーの観点からは、省エネにつながるのではないでしょうか。

 

enetalk13_08

ピッチクロックは省エネにつながる可能性があると話す川﨑選手

 

――――――最後に、今後の展望について教えてください。

僕は体を動かすのも好きですし、まだまだプレーヤーとして日々努力していきたいと思っています。野球はもちろん全力で続けますが、その一方で、野球しかやっていないとどうしても視野が狭くなりやすいと感じます。野球以外の活動もしながら、幅広くたくさんの人たちと関わって視野を広げていきたいですね。今回の取材でいろいろとお話ししたことも、僕にとってはそうした経験の一つになりました。アスリートがどういう形で社会と共存・共鳴できるかを考えながら、これからも僕なりに発信を続けていきたいですね。

 

【編集後記】
電気工事店を営まれていたお父様の影響で、自身も第二種電気工事士の資格をお持ちの川﨑選手。資格取得の集中力、突破力は野球にも活かされているのではないでしょうか。野球に取り組む姿勢には、小さいころから培った「人間力」が溢れている印象でした。多方面で、ますますエネルギッシュな活躍が期待されます。
 

川﨑 宗則

enetalk13_09

かわさき むねのり。1981年鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手。愛称は「ムネリン」。1999年、ドラフト4位指名で福岡ダイエーホークスに入団。2012年にシアトル・マリナーズ、2013年にトロント・ブルージェイズ、2016年にシカゴ・カブスを経て、2017年に福岡ソフトバンクホークスに復帰。2019年には選手兼コーチ契約で台湾の味全ドラゴンズへ。2020年から栃木ゴールデンブレーブスに所属。2006年、2009年には日本代表に選ばれ、WBC連覇に大きく貢献した。

川﨑宗則オフィシャルホームページ:https://www.munenori-kawasaki.com/


企画・編集=Concent 編集委員会


★さらに「日本のエネルギー」について知りたい方はこちら!
エネルギーの「これまで」と「これから」-エネルギーに関するさまざまな話題を分かりやすく紹介-(経済産業省 資源エネルギー庁スペシャルコンテンツ)