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オイルショックの反省が令和を導く? 日本のエネルギーの歴史を振り返ってみた(後編)

2021.04.01

日本を取りまくエネルギーの今を伝えるべく、Concent編集部きっての好奇心旺盛なCon(コン)ちゃんが突撃取材! 前回に続き、第17回は「エネルギーの歴史」をお勉強。幕末から続く日本の歩みを専門家に教えてもらったら、現代がけっこう“ヤバイ”ことが見えてきた。知られざるエネルギーの近代史を、Conちゃんがお伝えします!

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Conちゃん、昭和のオイルショックの裏側に驚く!

日本のエネルギーの未来を教えてもらおうと専門家にインタビューしたConちゃん。

しかし、日本が選んできたエネルギーの歴史を知らないと、「結局よくわからないよ」ということで、逆に過去をお勉強することに。

ここまで明治の「石炭時代」、大正の「電気時代」を教えてもらった。次は「昭和」だ。

金田「石油によって自動車が走り、飛行機が飛んだ。石炭や電気の時代から飛躍的に豊かになりました。一方で、さまざまな悲劇を生むことにもなるんです」

金田「日本は国内に石油がないため、他国から運ぶ以外に生き残る手段がありませんでした。そして、これが第二次世界大戦へのきっかけになります」

金田「第二次世界大戦の引き金になった国といえば、日本、イタリア、ドイツです。この3カ国は前編でお話しした通り、当時も今もエネルギーの自給がままならない国の代表格」

前編はこちら『「日本のエネルギー政策」ってどうなの? エネルギーの歴史を振り返ってみた』

金田「当時の日本にとって石油はどうしても必要で、国民生活や産業活動になくてはならない存在となっていました。それが日本のエネルギー政策を急速にシフトさせ、東南アジアの石油の確保に奔走します」

金田「でも、世界からはこの動きに対して批判を受け、日本の海域を封鎖されてしまいます。そのため、エネルギー資源を持たない日本は、石油を入手できるルートを確保するために、無謀にも真珠湾攻撃へと向かっていきます」

金田「第二次世界大戦の後、舞台は東南アジアから中東諸国に移ります。安い油田がたくさん発見され、『今度は中東だ!』と世界中が注目するようになります」

金田「油田確保のために大変な争いをして、それは今も続いています。戦争の話ばかりなのもよくありませんが、エネルギーの歴史を語る上で避けては通れないのも事実です。そして、最も中東の国々が反発した原因が、アメリカ大統領のある演説です」

金田「昭和46年(1971年)8月15日、ニクソン大統領がエネルギーの歴史上、最も重要な演説をしました。ニクソン・ショックやドル・ショックと呼ばれ、前触れもなく、固定為替と金本位制をやめると言ったんです」

金田「それまで日本の円なら1ドル=360円と為替レートが固定されていて、ドルはいつでも金(ゴールド)と交換できるルールでした。つまり、ドルの価値を金で保証していたんです。そんな世界の常識を急にやめる、と宣言したんです」

金田「エネルギーの視点から見ると、アメリカの狙いは別にあります。『中東の石油はドルでしか買えない』という新しいルールを作ったんです」

金田「ドル以外で石油を売ってはダメと、中東の国々にお触れを出したんです。世界経済はドルを軸に回っているので、その価値を保証する中東の石油が世界経済を支えるようになったというわけです」

金田「短期間で約4倍に高騰したんです。そして、世界で最も悪影響を受けたのが日本。その後、第四次中東戦争が起こり、皆さんがよく耳にするオイルショックが起こります」

金田「昭和49年(1974年)に起こった第1次オイルショック。当時のことをよく覚えています。母がどこにもトイレットペーパーがないって慌てていました。学校で習ったのはそこまでだと思いますが、実際はもっと大変だったんですよ」

金田「石油がないから物流が止まって、食べものも輸送できない。日本中からものがなくなり、日本経済が本当に止まりました」

金田「これを機に、中東の石油だけに依存するのは危険と反省し、昭和40年代(1970年代)に『省エネルギー』『新エネルギー』『原子力』というエネルギー政策を打ち出します」

 

Conちゃん、昭和から令和に続くエネルギー政策を知る!

石油の奪い合いから発生したオイルショック。世界一ダメージを受けたのは日本だったことに衝撃を受けたConちゃん。

でも、それを猛反省したからこそ、新アイデアが生まれたという。

省エネ、新エネ、原子力、何となくわかるけど、どんなことをやったんだろう?

金田「まずは『省エネルギー』。そもそもエネルギー資源が少ない国なのだから、せっかく買った資源は大事に使おうということ。これは使うときの話だけでなく、モノづくりの段階から始まります」

金田「例えば、自動車なら燃費を良くしてガソリンを使わないようにする。エアコンや冷蔵庫なら空調効率を上げる。そういった製品を作りましょうとしました。ここから日本ブランドが生まれ、世界一のモノづくりの国へと成長していきます」

金田「次は『新エネルギー』。太陽光や風力といった再生可能エネルギーと呼ばれるものです。実は、今でこそヨーロッパやアメリカが先進国と言われますが、世界に先立って政策を打ち出したのは日本なんですよ」

金田「新エネルギーは、日本が先陣を切って世界に普及した技術です。ただし、当時の狙いは環境のためではなく、エネルギーの自給のため。太陽電池や風車を作り、電気を少しでも自前で供給できるようにした政策なんです」

金田「最後が『原子力』です。電気も石油で作っていたので、別の方法として考えたのが原子力発電。オイルショック後、日本は世界に先駆けて原子力発電所をたくさん造りました」

金田「速やかに原子力発電所を稼働させるため、当時は海外から設備を輸入し、各地で建設を進めたんです」

金田「当時の急激な経済発展を支えるため、石油に代わる原子力発電を含めたエネルギーの獲得が急務だったんです。静岡県にある浜岡原子力発電所もその一つ。建設工事開始時に当時の町長さんが贈った祝辞から、その時代の空気がわかります」

金田「原子力という技術に、地域が何を期待していたのか。日本のために地域一丸となって協力しようと、多くの人たちが考えていたのかもしれません」

金田「幕末からの歴史を踏まえて、オイルショックの失敗がすべての原点です。そして平成14年(2002年)、こうした政策や理念を基に初めてできたのが『エネルギー政策基本法』という法律です」

「エネルギー政策基本法」詳しくはこちら

 

Conちゃん、令和に続くエネルギー問題を知る!

オイルショックでの反省からエネルギーの法律が生まれ、さらにエネルギー政策がメイド・イン・ジャパンブランドの誕生にもつながっていたことに感心したConちゃん。

ようやく現代に近付いてきたけど、結局どのエネルギーがいいのかわからなくなってきた……。

金田「平成にできた『エネルギー政策基本法』。その中で、将来のエネルギー政策の方針となる『エネルギー基本計画』を示さなければならないと定められています。今まさに、国は第6次エネルギー基本計画の議論を進めているところです」

金田「必要ではありますが、エネルギーの自給から考えると、再生可能エネルギーにも課題はあるんですよ」


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金田「日本にある太陽光発電施設の約8割は輸入品、風力発電機も約7割が海外製です。日本製に見えるものもありますが組み立てただけで、あくまで主要部材のほとんどは海外で作られて輸入されたものなんです」

金田「日本の“国産ウナギ”は、海外で稚魚から育てられ、最後に日本の湖で泳がせて出荷されたものがほとんどです。これは日本で作った、つまり“自給したウナギ”ですか?」


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金田「再エネも同じこと。再エネは、燃料が自然のエネルギーなので、どうやって設備を手に入れるかが重要になります。海外から買っている石油を使って発電することは自給ではないと思うでしょうが、太陽光発電も海外から設備を買ってきています。海外に頼らずに発電することを自給とするなら、この2つは同じ状況だといえませんか?」

金田「新興国の影響で世界のパワーバランスが変わり、エネルギー資源の奪い合いはさらに苛烈になっています。今の状況は、石油に依存していた時代と同じ轍を踏んでいるのかもしれません」


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金田「CO2(二酸化炭素)の排出量削減は地球規模で重要な課題。これに取り組まないわけにはいきません。その中で、CO2をどれだけ削減できるか、安定してエネルギーを供給できるか、そして自給できるかを考えて選択していくのです」

金田「再生可能エネルギーはCO2が出ないかもしれませんが、自給したものと言い切れない。コストは安いけれど環境面では課題がある石炭火力は、日本の技術ならCO2排出量を抑えることができます。さまざまな課題は抱えているものの、原子力ならCO2の排出量はほぼゼロで、一度燃料を輸入すれば繰り返し利用できる“準国産エネルギー”でもあります。ただ、それらの中から一つに絞るのではなく、無数の選択肢を組み合わせながら複合的に答えを見つけた方がいいということです」

金田「特定のものに依存する怖さを、日本は既にどこの国よりも深く知っています。これからはますます電化が進み、自動車も電気で動くようになり、電気の重要性はさらに増していきます。発電のために石油と天然ガスは輸入するしかないのなら、原子力発電と再生可能エネルギーは日本にとって重要です。今、原子力発電所は止まっていますが、CO2の排出量削減と電力を安定して供給できるようにするには、積極的に活用していった方がいいと思います」

金田「エネルギー基本計画という国の将来を決める話し合いが行われている今、海外の資源頼みではなく、日本の中でお金が回り、安定して暮らせる仕組みって何だろうか、と考えてみてください」

幕末から明治、大正、昭和、平成、そして令和まで。黒船来航から始まったエネルギーを取り巻く約160年は、日本だけでなくあらゆる国々が密接に絡み合うエネルギーの争奪戦の歴史だった。

金田さんは最後に、「危機から脱出するには、他人に頼るのではなく、自分の力で何とかするしかない。それに一人一人が気付くことが、普段の暮らしの中で日本のエネルギー自給率を高める第一歩です」と言っていた。

薬局から消えたマスクや、これから足りなくなるかもしれないワクチン。コロナ禍で身に染みる、海外頼みの不安定さ。他に左右されることなく、自分に必要なものを自分の力で手に入れる大切さを、今夜はうな重でも食べながら考えてみようと思ったConちゃんでした。


取材協力:金田武司

株式会社ユニバーサルエネルギー研究所 代表。東京都生まれ。東京工業大学大学院エネルギー科学専攻博士課程修了。1990年三菱総合研究所入社。同社エネルギー技術研究部次世代エネルギー事業推進室長などを務めた。2004年ユニバーサルエネルギー研究所を設立。国内学会や政府、自治体の委員など公職を歴任する。著書に『東京大停電 電気が使えなくなる日』。
http://www.ueri.co.jp/

★さらに「エネルギーの歴史」について知りたい方はこちら!
『エネルギーアカデミー』(電気事業連合会YouTubeチャンネル)

『2020—日本が抱えているエネルギー問題(前編)』(経済産業省 資源エネルギー庁スペシャルコンテンツ)
『2020—日本が抱えているエネルギー問題(後編)』(経済産業省 資源エネルギー庁スペシャルコンテンツ)